前にも読んだけど、また読んだので記録します。
読み返したきっかけはとある演劇。その内容が、「地方のラジオで夜な夜な中学生がラジオを配信していたら誰も聞いてないはずなのにお便りが届く。(そしてなんやかんやあって)ラジオは、実は震災で亡くなった人々に届いていた」というもの。
見た瞬間「想像ラジオじゃん!!!!」って思ったけど、あんまり想像ラジオの細部は覚えてなかったので読み返すことに。
最初に読んだときはいとうせいこうのノーライフキングと重ねて「個から多を描くのが好きな作家だよね」みたいな感想を投げた気がする。
読み返してもやっぱり思った。
序盤はDJアークが急に喋り始めて、「生きている」リスナーからしたらそれは異質で、DJなんだから当たり前なんだけど普通の(?)リスナーとも区別される。
それがどんどんDJとリスナーの境目がなくなり、記憶もまざり、最後はDJが消えーーというよりは誰もがDJになる。
こういう、震災をテーマにしたのって安易に書くとそりゃもう叩かれるものだけど、「生きてる」人間の語りパートでその想定される反論を潰してるのがなんか面白い。まあ潰すよねって感じ。
単純な「亡くなった人のことから立ち直れない人への慰め小説」じゃないんだぞーって、むしろこれを書くこと自体が鎮魂なんだ、地に足をつけたまま震災を振り返らなければいけないんだという印象を受けた。
私自身、震災に対して文章を書くほどの思い入れはないので、分からないなーって、思うところは多い。でも、作者にとって「書かなきゃいけない話」だったのだなというのは伝わってくるので、いい小説だと言っていいのではないだろうか。
好きだな〜と思うシーンは、故人と文字書きの会話。
「あなたは書くことでわたしの言いたいことを想像してくれる。声が聴こえなくても、あなたは意味を聴いているんだよ」とか
「残して欲しい。わたしとあなたで今日また、新しい世界を作りました」とか
書くことに対する世界観がいとうせいこうらしいなあ、とも思うけど、単純に亡くなった人と書くことを通して会話するというのは救いだよね