だいたいうろ覚え

物忘れが激しくなってきたので備忘録

瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった 感想

良い物語に出会ったときにいつも思うのだけど、小説や漫画をかいたり音楽を作ったり演劇したりしないひとはどこでこの衝動を発散させているのだろう。

今回配信で観劇した「リュズタン」は創作しないひとにこそ見て欲しい作品だなあと思った。いやぁ、池袋で見たかったな。でもカメラワーク凄かった。「配信で観劇」というより「映像作品を鑑賞」と言う感じがする。ちゃんと「ココ!!」ってところをズームしてくれたからより一層分かりやすかった。

初っ端から、言葉遊びが楽しい。海底で開廷、喚問でカモン。そして想像で創造。

途中で目を閉じて想像してごらん、と誘われるシーンがあるのだけど、その通り目を閉じて聴いていたら風が吹いてくるところで本当に自室のクーラーが風を送り込んできたので驚いた。しかし創造するの、これがまたなかなかに難しい。地面の感じや葉っぱの色。どうしても今まで積み上げた知識に邪魔をされてしまう。「こうに違いない」は「こうかもわからない」と真逆だ。あと個人的には視覚や匂いに比べて触感を想像するのが1番難しかった。地面を踏みしめてる感じとかとくに。普段靴を履いてるから、足裏の皮膚にぶってんのかな。

「リュズタン」の感想を見てると「ポエムみたいになっちゃう〜」なんて書いてる人がいたけど、わかる気がする。憧れちゃうんだよね。作中で言葉があまりにも自由で、楽しそう。想像へ誘い込むのは言葉だ。言葉の力を信じて見たくなる。……ポエムでもなんでもいいからみんなもっと気軽に創造すればいいのになあ。ことばって伝達ツールとしては「使えねぇな!」って思うけど、そういえばこうやって遊んでも良かったんだなってこの作品を見て思い出した。

本編の話。トノキヨは過去を思い出した方が幸せだったのだろうか。(夢の出来事は本当に彼の真実なのかはおいといて)生きる糧ってなんだろう、って考えさせる作品だなと思う。末原拓馬さんが出てた黒と白3でも、生きる意味を問う旅があったけど、「生きる意味」と「生きる糧」って似てるようで全然違う。生きる糧はなんだかもっと切実で、命綱のようなものだ。

最初のトノキヨは過去から生きる糧を見つけようとして、でも記憶に蓋を閉めているから糧がなくてただ生きているだけだったのかなと思う。さんごちゃんなんかは過去に生きる糧を求めているタイプなのかな。夢を見て、未来に生きる糧を見つけることができたからこれはハッピーエンドだと思った。

私自身、未来に生きる糧を求めるのが得意じゃない。楽しみはあるけど、予定がなくなったらそれはそれでしょうがないと思っちゃうし。「死にてぇ!」ってなったときはそれこそ過去の創作物の感想とか推しからのメッセージとかでやり過ごしてるけど、結局過去の評価は今とか未来の評価とは地続きじゃないんだよなあ……ってこの話は長くなるからやめとこ。未来に生きる糧を見出せた方が幸せになれそう!

なんでか1番印象に残っているのは、最後にリュズタンに向かうシーン。リュズタンには「リュズタンにたどり着く」ことを信じきらなければならず、なかなか辿りつけない5人。そのことは信じ切れなくても、「舵を切るフナノはどこへでも辿り着く=フナノならリュズタンの元に連れてってくれる」っていう、仲間を信じることを挟んでリュズタンの元へ辿り着くって言う、絶妙なさじ加減、いいなあ。丁寧に作られたんだろうなって言うのが読み取れた。

 

末原拓馬さん、黒白3ぶりの二度目まして。なにがこんなに目を引くんだろう?と思って見ている。目と口がすごく大きい!顔の感情の出る二大パーツが大きいってすごい、「役者!」って感じですね。口の大きい人って見ていて楽しいから好き。ていうかちょっとぐらい分けて欲しい。いや、でも日常生活で口を大きく開けるって歯医者くらいだから分けて貰っても宝の持ち腐れになるのかな……。

そしてなにより塩崎こうせいさんに私は驚いていた。塩崎さんは三度目まして。イブステと、つぎはぎだらけのヒーローズをDVDでみたのと、今回のと。もともと私が人の顔を覚えるのが得意じゃないからかもしれないけど、3役が頭の中でイコールでつながらない笑。え、同じ方ですよね??と頭の中で混乱中。どうなってるんだすごい……

他の御三方もすごく魅力に溢れていた。何かの作品でまた巡り会えますように。