だいたいうろ覚え

物忘れが激しくなってきたので備忘録

コトの葉 感想(1/18・1/19)

ブランコが郷愁のメタファーとして通じるのはあと何年くらいなんだろう。

T-ganeステージを見るのは「消された声」に引き続き2作品目になります。澤邊さんを主演に構えた今作「コトの葉」はあたたかさとさみしさを内包しているような物語だった。

なんといってもOPの良さ。前作もそうだったけど、演出にとても気合の入りを感じる。OPは物語のダイジェスト版のような構成で、前夜祭で語られていた「こだわりのある舞台美術」が一番効果的に使われているのはOPではなかろうか。オトがカメラを構えると(物理的にも)世界には明るさが増し、彼にとって写真がどれほど大切なものなのかを体感することができる。本編にも共通して思ったことだが、この作品(団体?)のやりたいことのひとつに「観客と登場人物の感覚共有」みたいなものがあるのだろうか?本編では、オトが調子を崩し、病名を告知され、生きていくという主軸の時間軸から派生するような形で回想(便宜上こう表現する)が挟み込まれる。このような表現方法はヴァージニアウルフの「ダロウェイ夫人」を彷彿とさせる。つまり、時間のながれに沿って物語を進めるのではなく、意識のながれをたどっているような表現だと感じた。だからこそ、たとえばメイが写真をみてオトとのやりとりを思い出すのと同じ演出温度でエリは死んだはずのお父さんとオトの話をするし、オトはありもしない記憶に慟哭する。

この作品の主役はオト(とメイ)なのだが、オトの話とは別の物語が存在する。それがタイキを主人公とする物語だ。ハルカとアキオ先輩の話もオトと関係がないといえばないのだが、オトとタイキはまったく面識がなくタイキの話だけやや異質であると感じた。率直にいうとオトの話に少し物足りなさがあったので余計に助長なのではと初見では感じてしまった。だけど逆に言うと、タイキの存在はオトが特別でない(=主人公だから病気になったのではない)ことの表れなのかも、とも思う。この病気はだれにでも起こりうるものだから。だとすると、実はタイキ・小林サトシ・中村トモルのシーンは結構大事なのかもと少し思い直している。タイキの物語は舞台上で描かれない部分も多い。故にオトの物語と、私たち観客と地続きの世界をつなぐ役割もになっているのかもしれない。

オトの話が少し盛り足りなかった、と描いたわけだが「えっここで終わり!?」というのが正直な感想でもある。オトがあの病気であることは、まあだいたいの人はフライヤー時点で分かると思うし。メイにとってのオトは拠り所であるけど、オトからしたらメイは記憶の底にある思い出で、2人の再会するまでの物語はメイが主人公と言われたほうがしっくりくる。メイとケイの話もケイがあそこで引き下がってしまったんだとすれば少し拍子抜けする。そういうものなのかな……。メイにしてもオトにしてもあそこでハッピーエンドおしまいというわけではないと思っているので、彼らの人生をまるで写真のように切り取った作品だなとは思った。劇中歌のところも演出がすごく素敵だったんだけど、だからこそ「病気をおしゃれに描いただけだ」という評価は免れないのではないかな…。

とはいえ面白いシーンや好きなセリフもたくさんあって楽しかったです。次回観に行くのを楽しみにしています。