だいたいうろ覚え

物忘れが激しくなってきたので備忘録

パダラマ・ジュグラマ 感想

17日ソワレ。急に行けるかも?と思い立って劇場へ…そんな感じで行ったものだから、はじめての生おぼんろさんだというのに劇団員の方がほとんどいない…回…………

そして仕事して夕飯食べずに行ったからとても共感性の高い作品でした。

 

観劇最中、何故だか無性に腹が立ってしまって。なんでだろ、何にだろう?それは現実の世界での「どうしようもないことへの苛立ち」とこの世界のそれが似通い過ぎているからかも知れないし、「食べること」を責められるトシリモに自分を重ね自己擁護的な気持ちかも分からない。(わたしたちだって肉も魚も食べる)

ジュロコロの感想書いた時も同じことを書いた気がするけど、「生きるためにどうしようもないこと」ってたくさんある。狐が鶏を食べるのはどうしようもないことだし、会話をしてしまったら情が湧くのもどうしようもないことだ。その「どうしようもないこと」を作り上げているのは、実は「どうしようもないこと」ではないのだけど、だからと言っていち凡人のわたしは神様に「ちょっと世界が行き詰まってるから、世界観チェンジで」なんて頼めないわけで……。

タックは特別な存在ではない。カイダムのなかでは特別な立ち位置にいるけど、それは偶然ベルトコンベアから落ちて、偶然手に入れたものだ。彼の「彼らでありたい」振舞いは特別なように見えるが、彼もまた出発点は「自分が(助かりたい)」というところにある。この特別でないところがいいと思った。特別でない彼が、奇跡を目にするのだから。

ポジティブにいうなれば、「どうしようもない世界のなかでも奇跡は起こせるし、奇跡は誰かの努力(祈り)によるものだ」という物語だし、ネガティブにいうなれば「奇跡が起こっても世界はなにもかわらない」物語であったと思う。最後の最後、タックの「パーダラマッ!」の声に応えるものはなく……夢は見続けられ、夢は叶わない……

カーテンコールで末原さんが参加者も合わせてここにいるみんなが仲間であるということをおっしゃっていて印象深い。(おぼんろさん自体がこういう考えの元にあるのだろう)だとすれば、仲間同士の掛け声である「ジューグラマ!」と声を上げるのはタックに向き合って座っている私たちだ。願わくば夢を忘れ、夢が叶いますように。そういう希望の物語だと信じている。